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第二章 |
6.パイプ喫煙と文化 |
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さて、タバコの栄枯盛衰も大詰めを迎える事になったが、最後に朗報があるのでそれから紹介して行こう。
私の著書の中心となっている予言者だが、実は煙草についても言及している、その一説から。 |
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時代は昭和の中頃、巷で喫煙の害が取りざたされ始める中、弟子の1人がタバコの害について質問した。
それに対する解答が次である。
なお肝心の解答であるが、「指輪物語」で有名なJ・R・R・トールキンの名言と言われる、「様々な娯楽や文化は全て神様が作ったものであるが、タバコだけは我々人類が発明した娯楽である」と対をなしている様で興味深い。 |
(予言者 タバコ語録)
「吹かすのはいい。のむのはあまりよくない。のみ過ぎは何でもいけない。のみ過ぎぬ程度にのむのはいい。考える時一服やろうというのは自然にそうなっている。文化生活をする時代になって、頭を良くする為神様が造られたものである。」
なかなか話の分かる予言者である。
発言の証拠と言っては何だが、私が若い頃この予言者の書斎を見学した事があるが、当時吸っていたとされている「朝日」の箱と灰皿の隣に、ホワイト・ドットの小振りなアップル(ダンヒル製のアップル型パイプ)が置いてあった記憶がある。
しかし残念な事に、禁煙がやかましくなって来た昨今、喫煙具一式は撤去されしまった。
もし予言者が生きていたとしたら、この現状をどう思った事だろう。 |
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ところで予言者の言にもあったが、どうやらこれからの世界は、より文化的生活が中心になって行くようである。
そんな訳で、第三章ではパイプ喫煙の楽しみについて言及して行くがその前に、文化について少々踏み込んで行こうと思う。
ただし、文化にあまり踏み込みすぎると難解な哲学書になりかねないので、ここはサラッと流す事とする。 |
第二章タバコの栄枯盛衰の冒頭で、これからの世界は「仕事と生活と文化のバランスの取れた世界」になると書いた。
また、「第一章のパイプと文化」のところで「過剰と蕩尽」の話題にも触れたが、豊かな文化は仕事と生活が満たされた世界でこそ、大きく花開くことが出来ると考える。
理由は何度も書いてきたが、文化が過剰であり遊びであるからだ。
「2048年神々の設計図」が描くこれからの世界は、「最大多数の最大幸福の世界」が、それなりに長く続く予定だ。
従ってこれからは、より文化を楽しむ生活、文化的に充実した世界がやってくる、否、そんな社会を作り上げて行く必要があると予測する。
では、何故未来の社会で、ことさらに豊かな文化が必要だと強調するのか、その理由であるが・・・・・・
オッと、ここから先はパイプ物語には荷が重過ぎる、話をパイプ喫煙に戻すとしよう。 |
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初代パイプ物語ではパイプ喫煙の奥深さを実感して戴く為に、「パイプ喫煙と不確定性原理」をケーススタディーとして使った。
そこでは少々見栄を張って、理論物理学を知ったかぶりで解説したが、理論物理学を持ち出すだけあり、数ある喫煙の中でも、パイプ喫煙の文化度の深さは随一である。
その理由は、パイプ喫煙が半製品でしかなく、自分で吸えるよう準備しなければ、そもそも喫煙すら出来ない代物であるからだ。
しかし、その反面喫煙の自由度の高さ、奥深さと言う魅力を内包しているとも言える。
たかが喫煙とは言え、美味しく楽しむ為には、タバコに対する知識、パイプに対する知識、喫煙に対する技術この三つの要素が必要となると共に、それらを一つに融合させて行かなければならない。
『パイプ物語』でパイプ喫煙を理論物理学の「不確定性原理」と結びつけた訳は、「タバコとパイプと技術」の三つの要素による無限の組み合わせを強調し印象付ける目的であったが、ここにこそ初心者と上級者との腕の違いが出てくる。
実に文化度が高く、奥の深い嗜好品だと言える。
ぶっちゃけ、面倒くさいと言えば面倒くさい趣味ではあるが、それだけに長く追いかけて行くに足る文化である事は間違いはない。
さて少々簡単ではあるが「タバコの栄枯盛衰」はこの辺までとし、次の章からタバコ・パイプ・技術これらの楽しみを、宣伝を交えながら順を追って書いて行こうと思う。 |
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